【レポート】『Play(in)visible』二人の打楽器奏者による(見えない)演奏会

2022年7月16日(土) @サイスタジオ コモネAスタジオ
出演:高良真剣/富田真以子

今年3月、高良真剣くん(以下マハヤくん)に誘ってもらい、彼の運営する横須賀のイベントスペース飯島商店にて暗室での即興ライブをしたことがきっかけとなり、今回の企画は生まれました。

みなさんは完全な暗闇を体験されたことがあるでしょうか?
あったとしても ごく稀なことで、日常生活の中でなかなかないですよね。
暗闇を完璧につくるのはかなり大変で、身の周りには ふだん気にすることのないほんの小さな光が無数に存在することに気がつきます。
今回のサイスタジオでも、細かな光ひとつひとつを せっせと潰してゆきました(笑)

飯島商店で暗闇と出会ったとき、その暗さが想像以上で、これでどうやって演奏するの?!って思いました。途中で目が慣れてくるのかと思いきやそんなこともなく、いつまでも見えないままでした。
けどマハヤくんはなぜか演奏できているのです。しかも移動もしている..!なんてこと!

飯島商店でのPlay(in)visibleの様子

どうやっているのかコツを少し伝授してもらいつつ(聞いてもわかるようなわからないような..笑)、私も自分なりに研究し、楽器の位置関係、各楽器の感触を記憶し、叩く前に手で触って位置と形を確認、ものを置く場所を決めておく,間違えないようにするなど対策を取りながら、少しずつやりたいことができるようになりました。(ただ移動するところまでは、飯島商店ではできず。悔しかったので、今度は絶対移動もしたい!と思っていました)

このときの体験が面白く、これは一度きりじゃ物足りない!もっと広い別の空間でもやってみたい!と思いました。

そこで、私が「inc.」という打楽器奏者の加藤訓子さんによるプロジェクトを通じて紹介していただき、これまでに何度か自分のアイディアを形にするリサイタルをさせていただいている劇場「サイスタジオ」がぴったりだ!と思いつき、早速カレンダーを見て、ちょうどぽっかり空いていた今回の日程を見るやいなやマハヤくんに連絡し、やろう!と決まりました。

「どうして暗闇で演奏しようと思ったのか?」という私の問いに対して彼は、「人前で演奏すると人のことが気になってしまう。暗闇であれば気にせず演奏をする訓練になり、明るい中ででも自分をその状態に持っていけるようになっていくのではないかと思った」というようなことを言っていました。
そうか、ある種自分を鍛えるためだったのかと、なんだか納得できました。私にとってもそうだなあと思えたからです。

私が初めて飯島商店で暗闇演奏をしたとき、まさにこの人の視線から”解放された”感があり、嬉しくなったのを覚えています。
演奏なので主に音を聴いてもらっているはずですが、やはり人は演奏している人の動きを見ます。それは当然のことと思います。打楽器だと奏者の動きが大きく、変化もあるので尚更です。
私も鑑賞者側のときは、どんな風に演奏しているのか、手元や身体の動きを見たいって思います。

演奏するほうも、見られている意識はあるので、実際に音に影響するような動きも、しないけど気持ち的にやってしまうような動きもしながら、演奏を魅せようとします。
これはほぼ無意識にやっていたことでした。

それが暗闇となれば見られることがないので、どんなに不恰好な状態でいても、どんな顔をしていても良いのです。とにかく出したい音を出すことがすべてで、自らジャッジする対象は耳が捉えた音のみとなります。
これだけで、途端に楽になる感覚が私にはありました。
ふだん音を出すときに、どれだけ多くの音以外のことに気を取られているか…。

明るい状態と暗い状態の両方を連続してやることで、より一層それぞれでの自分の心理状態や演奏態度の違いに気づくことができます。
今回のサイスタジオでは、昼公演では暗→明、夜公演では明→暗の順で演奏しました。

私の感触としては、暗→明のほうが心穏やかで、やりやすかったです。暗で音の世界に入り込み、その状態で明も臨めたからでしょうか。
暗のときに出した音を、明でもあえて再現することで、種明かしをするようなワクワク感もありました。なんなら「見て見て〜!」というくらいの気持ちの自分がいました。

いっぽう明→暗の順は、やはり最初の明の緊張感が際立ちました。お客さまの人数が多かったこともあるかもしれません。視線感じまくりでした。
あとは昼に一度やっているので、ほとんどのお客さまにとっては今回が初なのに、自分ではどうしても二回目という意識が働いてしまいます。
昼と夜の間の時間にマハヤくんとの会話の中で、互いの信頼関係が出来上がりすぎてる感はあるよね〜という話が出たこともあり、さっきと同じようなことしても面白くないなあとか、寄り添いすぎないプレイってどんなだろうとか、考え始めてしまったところもありました。

とは言え、結局は相手の音、その場の振動に反応して音を紡いでゆくので、だんだんと考えることをやめて、ただその空間に没頭できるようになっていきました。

夜公演では、マハヤくんの提案で、明の最後10分間は薄暗くして、懐中電灯を使う演出を加えることにしました。これはリハーサルのときに試しでやってみて、ふたりともが面白いと感じていたアイディアでした。
明でも暗でもない狭間の明かりが、その場にいた人たちみんなをより一層スーーっと集中させてくれた気がしました。
その場に静けさを呼び込み、完全な暗闇を目前に、空間が広くなっていくようでした。

完全な暗闇になると、距離感や空間の広さがわからなくなってきます。まるで自分しかそこにいないかのような…けれど音によって自分や人の存在を確かめられる。
奏者は自ら行動して音を発するので不安はほぼないですが、ただじっと聴いている人からすると、何が飛び出してくるかもわからないし、余計に不安な精神状態になると思います。
私が初めてマハヤくんの演奏を暗闇で聴いたときも、正直すこしだけ不安を感じました。ただマハヤくんのことを知っていて信用していたので、大丈夫でした。この信用があるかないかは大きな違いな気がします。

昼夜公演共に途中で退出された方がいらっしゃいました。私はそういうことが実際に起きると想像できていなかったのですが、マハヤくんはわかっていました。
お客様が声をあげてくださったので、マハヤくんがそれをすぐさま察知して、会場を明るくする合図(手を3回鳴らす)をして明かりをつけました。(今回の企画において重要な照明を司り、柔軟に対応してくれた新川悠さんにも感謝!)
どちらも一度演奏をストップし、仕切り直して再開しました。
(私たちはかなり実験的な試みをしているのだなあということを今更ながらに感じた瞬間でした)

「即興演奏」という場合、人がどのように取り組まれているのかは、あまり具体的に話を聞いたことがなくてわからないのですが、私たちは今回、前日と当日にリハーサルをする中で得た感触を手がかりに本番を迎えました。

昼夜2回あるし、明暗も含めたら4回あるようなものだから、毎回完全に自由というのもなあと私は少し気にかかっていて、なにかテーマを設けるか、構成のようなものを少し決めておくのはどうか、とマハヤくんに提案し、そうだね〜となっていたのですが、実際に箱入りし、リハーサルをしてみたら、その必要がないと感じました。
なぜかと問われると難しいのですが…。互いの音を聴き合うということだけで、いくらでも十分に楽しめる!音楽を作っていけるという確信がもてました。
今のよかったよね!というテクスチャーがいくつかあったので、本番で片方が「これいこう!」と投げかけたらそこへいこう、みたいな暗黙の約束が生まれた気がします。

事前の個人的な準備としては、まず使う楽器を決めるところから始まります。
せっかく自由に楽器を選択できるのも、好きだけど使う機会の少ない楽器を使いたくなります。
飯島商店でやったとき、私の中で、「今の自分が本当に心から好きと感じる音だけを使う!」と決めていました。
打楽器は楽器自体を変えることで音色を変える(簡単に変えられてしまう)ので、とりあえずたくさん楽器を並べておこう的な思考に陥りやすいような気がしています。こういう系の音色も用意しておくと使えるだろうという計算など含めて。
私のセットの写真を見て、いやいやめっちゃ並べとるやないか〜い!と指摘されそうですが、今回も、今の私が好きと思える音を厳選しました(これでも!)。
「全部使いましたか?」という質問も受けますが、結果的にほとんど使ったように思います。が、必ずしも使おうと思っていたわけでもありません。

使う楽器を決めたら、各”楽器を”さらいます。
(「さらう」というのは練習するというような意味で演奏家が使う動詞です)

それぞれの楽器から、どんな音が出せるかいろいろ実験し、この道具を使ってこう鳴らしたときの音が良い(好き)というのをメモしてストックします。
それを安定して出せるように練習します。完全な暗闇だとここが少し難しくなります。音を出すときには、やはり目で見る情報もたくさん使っているんだなあと実感します(楽器のこの辺を叩く、こういう角度、このくらいの高さでバチを当てる、などなど)

こうして貯めてあるお気に入り素材を自分発信で相手に投げかけてみることもあれば、相手の音を受けて、それに対する反応としてどれが良いかを即座に判断し引き出しを開けることもあります。
暗闇だと、この引き出しにしようと頭が判断してから実際にそれを出すに至るまでに時間がかかってしまいます。そうしている間にまたその場の状況が変化したり…。
明るい中においても、これは打楽器の特徴のひとつかもしれません。一つの楽器であれば、それを常に手に持っていて、管楽器であれば口をつけていますが、打楽器は楽器が自分の身体から離れた位置に複数あり、各楽器・出したい音色によってふさわしいバチが異なるので、持ち替えが必要になります。音を出すまでに何段階かあるのです。(それにやきもきした結果、手でいっちゃえ!もよくやる)

引き出しを準備するいっぽう、もちろん全く予期せぬことを自分もしたりします。それもまた自分で面白かったりします。
特に暗闇だと、不意に鳴らしてしまう音というのもやはり発生します。しかし案外それが良かったりして、耳と感触の記憶を頼りに、今度は狙ってもう一発同じことをやってみたり。

確信をもって狙ってやる部分と、予想外に起こることを受け止め展開していく部分と、両方を楽しめるのが良いバランスなのかなと考えています。
即興ってある意味作曲みたいだなと思うこともありますが、人との共作で、しかもその場限りのライブなので、作品づくりとはまた違うスリルや面白さがあります。良くも悪くも、作品として残ると考えたらやらない・やれないようなことが出来てしまうのが即興かなとも思います。

演奏するにおいて、自分の精神(内面)と向き合うこと、自分の楽器と向き合うこと、いっしょに演奏している相手と向き合うことのバランスの取り方も永遠の課題です。
これについては私が今回の企画で考えたワークショップ「play⇔pray」祈りと打楽器演奏のテーマでもあるので、またタイミングを見つけて書いてみたいと思います。