PROFILE

プロフィール

富田 真以子 Maico Tomita (通称:まいまい)

―音楽家/打楽器奏者/ワークショップアーティスト/プロデュース・演出

東京都中野区出身。
母のお腹にいる頃から、父の影響で洋楽ロック(KISS,QUEEN,RAINBOW,BON JOVIなどなど)を聴いて育つ。
その影響からか幼い頃からドラムに興味があり、小学校でオーディションを勝ち抜き鼓笛隊のスネアドラムを経験したことで打楽器に目覚める。中学受験をして吉祥女子中学・高等学校に入学。吹奏楽部でパーカッションに夢中になり、部活とは別でも習い始める。高校では音大受験を目指して芸術コースに在籍。その後、洗足学園音楽大学打楽器コースに入学。大学ではさまざまな人や音楽との新しい出会いの連続だった。

若手打楽器奏者の登竜門、日本打楽器協会主催の第31回打楽器新人演奏会にてパーカッション部門第1位。
大学卒業時に自ら企画し行った卒業リサイタルを皮切りに、パーカッションによるソロリサイタルや、オーケストラや吹奏楽での客員演奏の他、竹の創作楽器によるパフォーマンス集団「東京楽竹団」での演奏や、自身がリーダーを務める打楽器バンド「どやどや楽団」(東京都ヘブンアーティスト)にてロックナンバーをアレンジして演奏し、あの世界的ロックバンド“KISS”の公式ホームページで取り上げられるなど、大学在学時より様々なシーンで多彩な活動を展開。

また、コンサートホールや保育園・児童館などの施設での子どもに向けた音楽ワークショップやコンサートも積極的に行なっており、打楽器奏者としての出演のみならずワークショップの企画やプロデュースも行っている。

主な経歴・実績

  • 2005年04月-2011年03月 


    私立吉祥女子中学・高等学校在学(2009年4月より芸術コースに在籍)
  • 2005年10月-2011年03月 


    山口真由子氏に師事
  • 2011年04月-2015年03月 


    洗足学園音楽大学打楽器コース在学
  • 2011年03月-2012年02月 


    石井喜久子氏(洗足学園音楽大学教授)に師事
  • 2012年03月-現在 


    打楽器バンド「どやどや楽団」主宰
  • 2012年04月 


    特別選抜演奏者に認定され、成績優秀者に贈られる前田記念奨学金を授与される
  • 2012年03月-2015年03月 


    植松透 氏(NHK 交響楽団首席ティンパニ奏者)に師事
  • 2015年03月 


    トロンプ国際打楽器コンクールセミナーにて受講生の中からベストパフォーマーに選出される
  • 2015年05月 


    日本打楽器協会主催 第31回打楽器新人演奏会にてパーカッション部門第一位
  • 2016年01月-現在 


    石井喜久子主宰「 Percussion Ensemble Letick レティック 」所属
  • 2016年04月-現在 


    「東京楽竹団」所属
  • 2017年04月-現在 


    加藤訓子主宰「artist incubation project」アーティスト
  • 2017年01月-現在 


    洗足学園小学校オーケストラ打楽器アシスタント講師
  • 2018年02月 


    打楽器デュオ「happy turn(はっぴーたーん)」にてルクセンブルク国際打楽器コンクールセミファイナリスト
  • 2018年10月 


    「どやどや楽団」にて 第18回東京都ヘブンアーティスト審査会に合格
  • 2019年09月-現在 


    管打楽器ユニット「しましまのおんがくたい」結成
  • 2019年12月 


    東京文化会館音楽ワークショップリーダー育成プログラム 修了
  • 2020年02月-12月 


    NPO法人ネクストステージ・プランニングスタッフ
  • 2021年04月-現在 


    「maimai arts project」設立

生まれてからの音楽との歩み

私は母のお腹にいる頃から、父の影響で洋楽ロック(KISS,QUEEN,RAINBOW,BON JOVIなどなど)を聴いて育ちました。小学校2年生のときに初めてコンサートというものに行き、それがKISSのライブでした。ものすごい大きな会場(東京ドーム)と音量で、その迫力に圧倒されたことを今でも覚えています。
そして両親はゲーマーで、家の居間ではよくゲームのBGMが流れていました。繰り返し聞くので私の中に刷り込まれています。ちなみに私が生まれた瞬間も父はゲームをしていたそうです(笑)。(夜中から朝にかけて寝てしまわないためにやっていたはずが、看護師さんから連絡がなくて結局立ち会えなかったとのこと)
「パラッパ・ラッパー」というリズムゲームにもハマり、今思えばあれが私のリズム感を養ってくれたと思います。

そんな影響からか、幼い頃からドラムや打楽器に興味があり、小学校6年生の伝統行事であった鼓笛隊の小太鼓(人気でやりたい人がたくさんいた)を絶対やりたくて猛練習し、オーディションでその座を勝ち取りました。オーディションで叩いた短い曲は今も覚えています。あと音楽の授業ではやれなかったドラムセットをやってみたいと思って、音楽の先生に教えてほしいとお願いして習ったこともありました。こうしてどんどん打楽器を好きになっていきました。
小学校4年生から中学受験のために塾に通い始めます。塾の友達といるのが楽しくて、先生も面白くて楽しい場所でした。勉強も、好きとまでは言えないかもしれないけど楽しくやっていました。そして受験生とは言え両親から遊ぶなと言われたり何かを禁止されたりすることもなく、むしろ息抜きの時間をつくったり、時々家族で出かけたりもしながら受験勉強に取り組み、2005年、私立吉祥女子中学校に入学しました。
吹奏楽部ではトロンボーンを吹いてみたい!となんとなく思っていたのですが、入学前に聴きに行った定期演奏会でドラムを叩いていた先輩がかっこよくて、「やっぱりパーカッションだ!!」と思い直し、パーカッションを熱望し吹奏楽部に入部。私しか希望者がいなくて大歓迎を受けました。

中一の秋頃、もっと上手になりたいとう気持ちがむくむくと沸いて、「ミュージックスクール・タカシマ(元タマ楽器)」にて山口真由子先生に本格的にスネアドラムを習い始めます。中野から中央線で豊田まで通っていました。夜遅かったので母はいつも付き添ってくれました。最初はマーチングスネアドラムがかっこいいから極めたいと思って習っていましたが、だんだんと音楽大学への進学を目指すようになり、クラシックのスネアドラムの基礎からマリンバまで、じっくり鍛えていただきました。

高校2年生からは吉祥女子高等学校芸術コースにてソルフェージュやピアノ、声楽など音楽全般を学びました。音楽コースは同期に3人しかおらず、その分どの授業も一人ひとり丁寧に指導してもらえたし、様々な映像資料を見せてもらったのもとても贅沢な時間でした。学内ではかなりマイノリティでしたが、美術コースの子たちや一般大学を受験する友達とも互いに応援しあいながら、良い距離感で和やかに過ごしていました。

2011年、洗足学園音楽大学打楽器コースに入学。中学生のとき、打楽器コースの定期演奏会を見て惹かれて、迷わずここを選びました(施設もきれいだし)。
一年次は高校3年生よりレッスンをしていただいていた石井喜久子先生に師事。中高時代習っていた山口真由子先生の師匠なので、私は孫弟子です!主にマリンバを頑張りました。そして副科で一年次より四年間、ジャズドラムを大坂昌彦先生に師事。ジャズドラムコースとは言え、さまざまなジャンルの音楽におけるドラムを丁寧に教えていただきました。

その後、二年次より三年間、植松透先生に師事。音楽との向き合い方、音楽家としての生き方の哲学を学びました。自分で考え、見つけることを鍛えていただきました。
在学中は、海外のパーカッショニストを招いたセミナーやマスタークラスを受講する機会にも恵まれ、チェコフィルのMichael Kroutil氏のティンパニレッスンや、ドイツのデトモルト音楽院のPeter Prommel氏のレッスンを受講しました。そこで得た言葉や感触は今もとても生きていて、心に残っています。
そして大学にはゼミもありました。私は友人に誘われ、サックス奏者大石将紀氏による“現代の音楽表現研究ゼミ”に発足初年度より所属していました。実験的、即興的作品に取り組んだり、作曲科の学生の新作初演に取り組んだりしました。松戸市戸定邸(国の重要文化財)でのコンサートや東京現音計画とのコラボレーションコンサートを行うなど、意欲的に活動しました。ここでの現代作品との出会いは、今の私の価値観や感性に大きく影響を与えています。
大学のオーケストラでは、なんとヘルベルト・ブロムシュテット氏やシャルル・デュトワ氏のタクトのもとチャイコフスキー5番を演奏するというとっても貴重な経験もしました。ブロムシュテット氏のしなやかな手元と温かい眼差し、あの空気感…感激しました。緊張とそれに勝るワクワクを鮮明に覚えています。

四年次に開催された大学創立90周年記念コンサートでは、サントリーホールにて山下一史氏のタクトでチャイコフスキー作曲交響曲第5番を演奏。“チャイ5”は大変思い出深い一曲となりました(大好きです)。
吹奏楽では、汐澤安彦氏のもと研鑽を積み、音楽に向かう姿勢を学びました。厳しかったですが、とても有意義な時間でした。汐じいの大切な言葉の数々は時々思い出すようにしています。また在学中より、洗足の教員による吹奏楽団“Senzoku Special Wind World”にエキストラとして出演させていただいたのも貴重な経験でした。
それと、打楽器コースの名物とも言える定期演奏会が毎年12月に行われていました。コンサートの最後には打楽器コースの学生総出で管弦楽作品を打楽器のみのオーケストラで演奏します(オリジナルアレンジ)。バレエやミュージカルとの共演や、歌のソリストや合唱団を招いての「第九」の演奏などの新しい試みも行い、「第九」のときはチーフとして学生たちをまとめていました。
大学にはサークルが色々ありました。マーチング・パーカッショングループ“BLAZE(ブレイズ)”ではスネアドラムを担当。演出、編曲を自ら行うこともありました。定期演奏会でのパフォーマンスの他、高津区民祭でのパレード演奏や、多摩川花火大会でのステージ演奏など外部での演奏も積極的に行っていました。
ガムラングループ“サラスワティ”では森重行敏氏のもと、ジャワガムランを学びました。各大学のガムラン部が集まって演奏するイベント“ガムラン・ユニバース”にも出演しました。

大学以外でも、二年次に早稲田大学のサークルに所属しファンクやソウル、R&Bなどを演奏するバンドでドラムを叩いたり、中高時代の友人と結成したバンドでもドラムを叩いてJ-POPや昭和歌謡、ビートルズなどあれこれコピーしたりして、元々大好きなドラムも楽しんでいました。

現在も活動を続けている打楽器バンド「どやどや楽団」は二年次に大学の室内楽の授業をきっかけに結成。ムジカコスモコンサートでデビューします。現在はロックを中心に演奏するバンドとして活動していますが、スティーヴ・ライヒなどの現代音楽にも取り組むほか、幼稚園や保育園、小学校へ演奏しに行ったり、ラゾーナ川崎や赤坂の商店街などのイベントで演奏したりするなど、在学時から積極的に活動していました。

またKISSのナンバーをアレンジした演奏動画がご本人の目に止まり、公式ホームページにニュースとして載ったほか、なんとジーン・シモンズがツイッターでつぶやき評価してくれるなどして話題となり、ファンからも好評を得ました。ものすごく嬉しかった…!

卒業時、大学生活のまとめとこれからの音楽人生のスタートとなるよう、富田真以子パーカッションリサイタルVol.0 “まいまいひとりおさらい会”を学内で開きました。自分で企画し実行しました。ノアゴーのI Chingより3,4楽章やジョリヴェのコンチェルト、コンテンポラリーダンスと打楽器のための委嘱作品、そして「どやどや」でのKISSなど(笑)バラエティに富んだ内容。そしてプログラムの最後には、師匠である植松透先生とバルトークの“二台ピアノと打楽器のためのソナタ”で共演しました。ピアニストのおふたりにも恵まれ、一生忘れない幸せな体験でした。
その後、日本打楽器協会主催の第31回打楽器新人演奏会にてパーカッション部門一位、最優秀賞を受賞。くじ運が悪くてまさかの朝一トップバッター!そして審査員に植松先生がいてびっくり!(知らされてなかった)そんな中での受賞はとても嬉しかったです。演奏するときは、まっさらな状態で自分のパフォーマンスをするだけだったのでドキドキしながらも気持ちよく演奏出来ました。結果発表されるときが、ものすごく緊張しました…。
こんな感じで学生生活を終え、フリーランスの打楽器奏者としてのスタートを切りました。

元々色んなことに興味があるので(むしろないものがない。音楽以外も)、今でも相変わらず、かなり幅広く、さまざまなシーンで活動しています。(現在の活動については「活動紹介」や「所属グループ・参加プロジェクト」のページをご覧ください)多分その状態が私には合っているのだと思います。音楽、そして演奏することはもちろん大好きで大切ですが、あまり「演奏家・打楽器奏者」という肩書にこだわり過ぎず、なにかを創る人、表現者でありたいと考えています。生活と芸術を分けることなく、日常の中で音楽を通じて人と出会い、互いに良い影響を与え合い、心動く体験が出来るような場をつくりたいです。